回復期リハビリテーション病棟協議会研修会 「回復期リハビリテーション病棟は退院後の生活期を意識したリハビリテーション計画をたてて実行しているだろうか。その問題意識が期待されているのではないか」――。
 26日札幌市内で行われた北海道回復期リハビリテーション病棟協議会研修会での橋本茂樹・札幌西円山病院リハビリテーション科主任診療部長の発言です。

 「求められているのは身体機能の維持・向上のためのリハではなくて生活する上でもう少し心地よくならないかというものです」――。
 札幌市内で訪問リハビリを提供している訪問看護ステーションつぼみを経営されている内藤麻生さん(理学療法士・介護支援専門員)の同じ26日に開かれた北海道地域医療研究会のシンポジウムでの発言です。

 日中開催された北海道地域医療研究会、夜から開催された北海道回復期リハビリテーション病棟協議会のいずれにあっても生活期を視野に入れたリハビリテーションと訪問看護、口腔ケア、診療が問われ期待されているという点で見事なまでに一致していたことが強く印象に残った一日でした。
 今、私はリハビリに即して紹介しました。
 実際には、北海道地域医療研究会では訪問看護ステーション、かかりつけ医そして行政の立場から発言されています。そこに共通しているのは地域包括ケアを地域特性の中でいかに現実のものとしていくか、その中でそれぞれの職種に求められている課題と期待をはっきりさせていきたいという問題意識です。
 道回復期リハ病棟協議会も同じです。
 それを象徴するのは道地域医療研究会で企画されたブラッシュアップセミナーの講演が栂安秀樹・つがやす歯科医院院長(帯広市)による「口から食べる狄と健康支援ネットワーク“の取り組みから」であり、生活期のハッピーさをという橋本先生の会の締めくくりにあたって詰めかけた約200人の参加者への呼びかけが摂食・嚥下であり口から食事ができる大切さを訴えるものであった事実です。
 栂安先生は帯広市を中心にした十勝管内全域を対象とした「食と健康支援ネットワーク」の中心的人物として多職種連携の地域ネットワークづくりと担い手づくりを進めていることで広く道内で知られている先生です。
 橋本先生は「のみこみ安心ネット・札幌」の中心的人物の一人として同じく地域ネットワークづくりを多職種協同で実現させていこうとしています。

二つの会に共通したキーワードは
多職種連携と地域社会の再創出

回復期リハビリテーション病棟協議会研修会 二つの会に共通したキーワードは多職種連携と地域社会の再創出です。
 どの方の発言一つ見ても自分たちの職種だけで患者(利用者)・家族に良いサービスを提供できるとは全く考えていません。
 むしろ共同実践を進めていきたい、そのためにもそれぞれの役割理解をしていきたいというメッセージが強く込められています。
 道地域医療研究会のシンポジストの一人で(札幌市)西区在宅ケア連絡会議の中心的人物である坂本仁先生(坂本医院院長)がかかりつけ医の立場から多職種連携は当たり前のことと指摘しているのも頷けるところです。
 同じシンポジストの一人十勝管内鹿追町で「訪問看護ステーションかしわのもり」を開設・運営している松山なつむさんは、郡部で活動する訪問看護師の役割として訪問看護事業のみならず特別支援児童の介助や地元高校生のインターンシップと命の授業や地元でのシンポジウムの開催などに取り組んでいることを報告しました。
 そこから伝わるメッセージを感じてほしいと思います。

 松山さんは「家で暮らす」をささえるためにこどもの頃から徐々に身につける「生活行動」「食べる」「眠る」「排泄する」「友達と交わる」などの行為が病気や障がいや、加齢にともないセルフケアが困難になった時、「看護の技」で困難な部分を支える姿勢が訪問看護に求められるとしています。
 それを地域社会の一人一人とつくりだしていけて初めて地域社会で暮らし続けることができる、看取りが自然なものとして地域社会が改めて実行できることになるのではないかという思いを私は受け止めさせていただきました。
 選択肢の少ない郡部では「限られた資源と柔軟かつ有効につながる」ことが大切という説明は、上記の取り組みを支える実践の中から育まれた生きた実感なのだと思います。
 その意味で地域社会の再創出が大切なキーワードだったのではないか。その確実な一歩が道内各地で進んでいる、そのことを26日の1日を通じ実感することができたことを私は感謝しています。
 シンポジストの一人が松山千春の出身地として知られる足寄町にあって福祉課参事として、今まさに地域の特性に対応した地域包括ケアの街づくりを進めている高田康範さんであったことは象徴的です。
 ここでの取り組み自体機会を改めて紹介したいと思います。
 他職種連携が地域社会の再創出と一体となることで行政も当然、その一員として存在する、そうした時代の訪れが、北海道の地から育まれていることを私は誇らしく思います。