「宅配ビリテーション」という言葉を皆さんは聞いたことがあるでしょうか。私自身、耳にしたのはつい先日(9月21日)です。
「宅配ビリテーション」という言葉を耳にしたのは、北海道札幌市東区を中心に東苗穂病院や介護老人保健施設ひまわりなどを開設運営している医療法人社団豊生会(星野豊理事長)と医療介護事業体で構成する豊生会グループによる第5回豊生会グループフォーラムでの実践発表です。
「おーい、打ち合わせ始めるぞ!〜本町第2の職員〜」と題してデイサービスセンター 夢のみずうみ村てんやわんや本町の介護職員、堺本舞さんが日ごろの実践を報告しました。 「宅配ビリテーション」とは何かを考える上での最大のヒントは、「内職リハビリテーション」にあります。内職リハビリテーションとは、いつものデイサービス・活動メニューのほかに、空いた時間などを利用して何かしたいことがあれば取り組んでもらおうというプログラムです。
食器洗いをはじめ食事メニュー書き、洗濯干し、雑紙切りなどその数約30種類。発表によると、多くの利用者が内職リハビリを自ら選んでいるといいます。その理由はどこにあるのだろうか、それが研究テーマでした。
紹介された事例の一つは、70歳、要支援1の女性のケースです。長年そば屋さんなどで働いてきた方です。膝と腰に痛みがあるためほとんど横になっており、長時間の立位が困難なため調理はできず、掃除や洗濯などの家事は同居している息子さんの支援を受けていた、というケースです。
その利用者さんがいつもの運動メニュー以外の手すきの時間に「洗濯干し」を見て「これを干すのかい?」と声掛けをし、自分から手伝いをされるようになった― 10分以上の立位は困難としていたのがやがてそれ以上の立位時間をとることが自然にできるようになり内職メニューも増えていく― そして自宅での調理などをするようにまで至っているといいます。
デイサービスでの取り組みから生活内容を拡大し、それを自宅での生活行為の広がりに発展していく。デイサービスでの生活行為のさりげない広がりから自宅での生活行為の広がりと調理など自己実現の拡大につなげる。それをデイサービスから自宅への「宅配ビリテーション」と名付けているというのです。演題の「おーい始めるぞ」は、そうした利用者の一人の言葉です。
「何かすることはないか」という希望に、次回の利用者の希望サービス・メニューなどを整理、ネーム出しを依頼。いつしかそれが当たり前の日課となり、「今日は何をしたらいい」と内職リハビリの種類も増えているという報告でした
無理のない形で本人ができること、したいこと、そのきっかけを探しながら生活する能力の広がりを本人自らがあらためて生み出していく(再獲得していく)、これこそリハビリテーションの基本ではないでしょうか。
リハビリテーションというと機能訓練室で決められた腕の上げ下げなどの身体訓練メニューを「こなしていく」と誤解されがちな中で、「見守り」の域を超えた実践があるのだと私は強く励まされました。皆さんはどう感じられるでしょうか。
「今や(こうしたサービスが)「あります」だけでは強みとならない時代になってきており、ご本人の意志、選択に踏まえて医療介護サービスを提供できるかどうかが問われている。その際、利用者の生活を総合的にとらえた視点で対応できるかどうか、総合的サービスの提供が期待されている」開会冒頭の星野理事長のあいさつが示唆するものは少なくないと思います。
なお、今回のフォーラムのハイライトは、会田薫子東京大学大学院人文社会系研究科特任准教授の基調講演『認知症のエンド・オブ・ライフ・ケア― 人工栄養問題を中心に』。
この中で会田准教授は、看取りと人工栄養問題の受け止め方を中心に特養、グループホーム、老人保健施設など機能を異にするそれぞれの場で看取りの実践が当たり前にされていることを提起。今回の発表者が多職種であるように、看取りが一部の職員などに支えられたものではなく職場や事業体全体の共通理解のもと利用者、家族を含めた合意形成の下、自然体でされている点を強調しました
「看取り」への取り組みの必要性が今、しきりと提起されています。それ自体は間違いではありません。ここで注目したいのは「看取る」ことが目的ではなく「看取りを成立させるものは何か」それが大切だという呼びかけを私は聞いたように思います。そうした先駆的取り組みが、私の主たるフィールドとしている北海道の地で取り組まれていることに強く励まされた一日でした。なお、「看取り」の実践の持つ意義については10月10日号のクラヴィスで触れたいと思います。関心のある方は併せて一読いただければ幸いです。
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